「神奈川県の高校で、願書を出しに来た人で服装が乱れている人を不合格にしていた」というニュース。
いろいろ意見があるようですが、私は賛成派です。正直、更迭は行きすぎなのではないか、とも思います。
確かに「見た目が怖くても実はいい人」的な話というのはよくあることですが、それとこれとは話が別なのではと思います。
例えば・・・就職試験にジーンズにTシャツで行きますか?行かないでしょう。もしそんな事をすれば「非常識だ!」と糾弾されるに決まっています。学校の窓口に自ら出向いて願書を提出するというのはそれと同等の事なのです。
よく面接マニュアルに「待っている間も面接されていると思って行動すること」といった内容が書かれていますが、今回の騒動はまさにそれが現実に行われたらどうなるか、という極端ではありますが、ひとつの模範解答なのです。
日本の民族衣装、和服には現代人がちょっと難しいなと思ってしまう「格」に対する決まりが存在します。
例えば、結婚式に呼ばれたら第一礼装を身につけなければならない人が、普段着の扱いになる「小紋」を着たりはしません。それは、「その場(状況)のその人に相応しい装いではない」からです。別に法令で決まっているわけではありません。日々、積み重ねてきた年月がそれらを暗黙のルールとしたのです。
服装を整えて臨むというのは、相手に対する礼儀であり、それを失すると非難されてしまう・・・昔はそれが日常で実践されていました。
確かに現代は自由です。個人がどんな服装をしていても自由です。当然、その思想・信条・ポリシーも人それぞれです。その権利を侵されるようなことはあってはならないと思います。
しかし、場所(受験する学校=行きたいな、と思っている学校)に対して、かりそめなりとも(受験しますのでよろしくお願いします!という)礼節をわきまえてしかるべきではないかと。それが嫌だ、というのなら別の学校を選択し、その学校を受けなければいいだけです。
過剰にへりくだる必要性はありませんが、それが当然のルールとして通っているから就職試験にジーンズとTシャツで行ってはダメなのです。行ってもよほど自由度の高い会社でない限り、落とされるのがオチでしょう。(おそらく制服着用でうけるであろう)受験だって同じことが言えるのではないでしょうか。
少し考えれば「あー、そうかもねー」と分かりそうなことです。「知らせないでそういう事をするのは良くない」という方もいらっしゃるようですが、こんな事を年長者から言われたことはありませんか?「おてんとうさまが見てるよ」「どこで誰が見ているか(聞いてるか)分からないよ」と。
社会生活上の最低限のマナーが守れないなら、その罰を受けるのは当然だという事を例え子供であっても、知らなければなりません。そして、それを教えるのは私たち大人。 今の大人(保護者・教育者)はその事を忘れて、自由や権利をはき違えているのではないでしょうか。
社会生活を送る上でのルールを子供が学ぶ場を、自らの手で失わせてはいないでしょうか。今回の騒動はその事を改めて考える機会を与え、警鐘を鳴らしたと言えると思います。